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*(3)

しかし、築60年といえどこのガラス戸は音を立てすぎなんじゃないだろうか。
サザエさんの家のガラス戸だってもうちょっと静かな気がする。
と、人の家にぶつぶつ文句を言いながら、亘は丁寧に戸を閉めた。
美鶴の家は両脇を一戸建ての家に挟まれている。今亘がいる玄関のあたりは、どちらかの家の陰がささっていて肌寒い。これで洗濯物は乾くのかと心配になったが、ベランダだけは四面の家で唯一どこからも陰のささない場所らしい。ついでに、そこからは地形のおかげで家々の間から遠く海が見渡すことが出来る。
「まあ、歩いたってすぐなんだけどな」
そう言って美鶴は笑った。
亘はそのベランダの景色がすぐに気に入った。夕日は、水平線にまっすぐ沈むのではなく、なんだか中途半端に誰か知らない人の家の陰に沈んでいく。水平線も同じく誰か知らない人の家に隠されて直線にはならない。そんな不完全さが、なんだかとても安心する。

めったに誰も使わないという、狭くて急なコンクリートの階段を使って近道をした。
子供の頃は、家の周りにこういう場所をよく探したものだった。ずっと昔に作られた場所で、近年の舗装工事から逃れて生き延びているものの、もはや大半の人はその存在を忘れ去っているような、そんな場所。
亘の実家の周りは近年住民が増え、住宅街が次々できあがり、道路もどんどん綺麗になっている。一昨日、日付で言うと元旦に実家に帰ったときは、あまりに町並みが変わっていて、ほんの少し迷いかけた。どこか名も知らぬ小さな企業の妙に薄汚いプレハブ小屋が何個か建っていた場所は、すっかり舗装されて三階建ての西洋風の家を二軒かまえていた。大きな庭に戦前から建っていそうなほど趣のある立派な家を携えていた地主の土地には、庭の隅にあった掘っ立て小屋の代わりに真新しい家が建っていた。
薄汚いプレハブ小屋も、戦前の匂いがする掘っ立て小屋も、亘は好きだった。その奥に何があるのか、子供の頃からずっと気になっていた。だが、それを知る前に彼らは新しい時代の波にさらわれてしまった。
「俺も、なんか少し寂しいなあと思うことはあるよ。昔遊んでた公園がなくなって、コンビニかなんかになっちゃってな。もうあの頃の俺達が遊んでた場所はなくなっちゃったんだって思うと、やっぱり寂しいよな。」
その後、ルウ伯父さんはビール片手に小さい頃の思い出についてたくさん語った。想像通りやんちゃ坊主だった伯父さんは、その公園のブランコから飛び降りようとして失敗して骨折したり、何を思ったかうんていで頭から地面に突っ込んで三針縫ったり、とにかく生傷が絶えなかったらしい。
「亘は昔っからゲームばっかりしてたもんなあ。骨折とかしたことあるか?」
ルウ伯父さんにゲームの話をされるとなんだか申し訳なくなる。これは小さい頃から今までずっと感じていることで、外で遊んで欲しいという伯父さんらしい希望や、それでもゲームが好きな亘に対して頑張ってそれに関する話題を振る昔の伯父さんの姿を思い出すからだ。
今ではもう大人の男同士として酒を交わす仲になったわけだが、亘は未だにそういう子供臭い記憶を引きずっている部分が捨てきれていないのだ。
「うん、骨折はたぶんない」
だが、このときの亘は別のことが気になっていた。そのせいでそっけない返事になっても、伯父さんは一向に気にする様子も無く骨折の苦労話をし始めた。おじさんは酔っ払うと話が長くなる。
伯父さんの考えていることは、恐らく自分とは違う。伯父さんの持っているのは、所謂ノスタルジー、望郷心である。それは、今亘が抱いている気持ちではない、それだけははっきりしている。

まだ幼かったあの日、亘の「家族」は崩壊した。拠り所としていた概念の崩壊。その後に残ったのは、三谷好子と三谷亘という二人の人間が存在しているという、事実のみだった。
by yuzukkoaiko | 2007-01-08 23:16 | ブレイブストーリー
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